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エルメジャー
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スタッフ紹介

エルメジャー浦口 プロフィール

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〜 情報発信に生涯を捧げる男 〜

 自分が知った良い情報を、多くの人に伝えて喜んでもらいたい。人間なら誰でも持っているであろうその想いが、私は人一倍強く、学生時代から
新聞部の部長、同人誌の編集長などを務めてきました。

 時代の流れに合わせ、情報発信の手段を紙媒体からホームページへと変え、活躍の舞台をインターネットに移し、多くの情報サイトを制作しています。その功績を評価いただき、今では企業様のホームページも多く担当させていただけるまでになりました。

ある日突然ホームページ屋になったのではない、私の過去の遍歴を、一部ですが掲載させていただきます。
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小学生時代 1986年〜

音楽の演奏や、自作漫画、学級新聞作りに熱中。

近所に同年代の男の子がいなかったので、女の子とばかり遊んでいました。ピアノを習っている子に教えてもらってオルガンを弾いてみたり、漫画を描くのが上手な女の子の真似をして、自分でも漫画を描いてみたり。なのでイラストと作曲は、今でも趣味の一つとなっています。

学校では、学級新聞を作るのが好きだったので、だいたい新聞係になっていました。図書館に行ってレイアウトについての本を読むなど、小学生にしては妙に本格的で、小学5年生の頃にはお年玉(+親の援助)で、画面が2行しかない「かんたんワープロ」(右図)を購入。担任の先生も顔負けの出来の学級新聞を作っていました。(当時、ワープロ専用機は非常に高価だったので、先生の中でも持っている人は非常に少数でした。)

ローマ字を覚える前にキーボードに触れたので、私は今でも「かな入力」がメインです。

夏休みの自由研究でも、地元のいろんなお店に取材に行って、記事を模造紙1枚にまとめたものを制作するなど、子供の頃から、取材と編集作業が大好きでした。
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その他、私の呼びかけで女の子友達と音楽のバンドを結成していたのですが、その会報誌なんかも作ってました。その流れで、小学校を卒業する時に担任だった先生への贈り物として、バンドで演奏した曲や、感謝の言葉を録音したラジオ番組風のカセットテープを作ったのですが、演奏の練習期間も含めて、小学生時代の一番の良い思い出になっています。

中学生時代 1992年〜

中学生にしてパソコンでプログラムの基礎を学び、文章を書く楽しさに目覚める。

中学生になると一転して、男の子としか遊ばなくなります。音楽バンド「フォーエバー・カンパニー(永遠の仲間)」も解散。思春期ですから仕方ないですよね(笑)。男友達と一緒にテレビゲームで遊んだり、自転車で遠出したりという生活に変わります。

ただ、同年代の他の男の子と違ったのは、中学2年生の時に、PC-9801というパソコンを買ってもらったこと。当時のパソコンは今とは違って面白いことは何もできなくて、本屋で「マイコンBASICマガジン」(現在は廃刊)という本を買ってきては、載っている意味不明な文字をひたすら打ち込んでいました。するとゲームが遊べたのです。中学生が興味持つことなんて、しょせんそのレベルのことですよね(笑)。

今思い返すと、それはBASICというプログラムで、私がパソコンのソフトを作るための基礎となったのです。たまたま近くの高校のコンピューター室で、BASICの講習会があったので行ってみたのですが、参加者は中年のおじさんばかり。でも、中学生の自分が、一番理解が早かったという(笑)。それからはプログラムで意味不明なゲームを作っては、友達に遊んでもらっていました。(右図)

中学三年生の頃には「RPGツクール Dante98」というソフトを購入し、ひたすらゲーム作りに夢中になっていました。音楽から絵から何まで、全部自分で作ろうとしてましたが、当時のパソコンは使える色数はたった16色で、音楽も同時に鳴らせる音は6つまでと、すごく性能が低かったのです。今の時代に生まれた子供達がうらやましい…。
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その他、ビデオカメラを買ってもらったので、家族でどこかに出かけた時には、決まって自分がカメラマンの役をしていました。当時はパソコンで動画編集なんかできませんから、ビデオデッキにつないで、良いシーンだけをダビングして編集したものです。当時はインターネットもありませんから、ビデオの本格的な撮影方法については、図書館に行って本を読んで調べていました。

また、クラスに小説を書くのが趣味の子がいたので、自分も触発されて小説を書いてみたりしました。これがきっかけで、文章を書くのが好きになり、文系の道に進むことになります。

高校生時代 1995年〜

廃部寸前の新聞部を立て直し、交換絵日記帳・同人誌作成に青春をかけた、高校生時代

高校に入ると、真っ先に新聞部に入部しました。その年の新入部員は私一人のみ。三年生が2人いましたが、他の部活と掛け持ちだったので、新聞部は実質私だけが活動していました。そして私が二年生になると部員は私だけになり、廃部寸前の危機に追い込まれたのです。

新入生のオリエンテーションの日、部紹介の時間があったのですが、そこでのアピールが勝負どころだと感じていました。そして新聞部の部紹介の番。新入生が長時間体操座りをして、お尻が痛くなっている様子を察した私は

「皆さん、そろそろお尻が…限界ではないでしょうか?新聞部の部紹介は、立って聞いて下さい。」

と言ってみたところ、全員が飛び上がるように立ち上がったのです。あちこちから「あぁ〜」と漏れる歓喜の声。相当痛かったのを我慢していたに違いありません。その一部始終を見ていた先生や同級生から「新入生全員を仕切ったなぁ」と一目置かれ、新入生の間で有名人になります。それが功を奏したのか、入部希望者も3人現れ、新聞部は、廃部の危機を脱したのです。

その後も「恐るべし!新聞部」のモットーを掲げ、文化系の部なのに体育祭で部対抗リレーに出場するなど、様々な活動を続けた結果、最終的に部員は13人にまで増え、私は廃部寸前の新聞部を立て直した伝説の新聞部部長として、後世に語り継がれるようになったのでした!(やや誇張)
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09071904.jpgまた、男友達3人で、交換日記ならぬ交換絵日記を始め、3日に1度、左のような漫画を描いていました。(当時、マジカル頭脳パワーというテレビ番組が流行っていました) 結局、この交換絵日記は114ページも続きました。

これをさらに発展させ、「中年ジャムプ」という同人誌を発足。高校には文芸部がありましたが、それとは別に、サークル的に活動をしました。特別企画として、読者をも巻き込んだ、総勢20人の絵が集まった巨大カレンダーを作成したのも、良い記念となりました。

それまでは各自が制作した作品を寄せ集めて同人誌を作っていましたが、三年生になると「マルチコミック」という、リレー式の漫画を始めました。男女合わせて総勢9名の参加者が、各人が出したオリジナルキャラクターを自分の画風にアレンジし、前の人が描いた物語の続きを作っていくという、トンデモ企画です。みんな受験勉強そっちのけで頑張った結果、最終的には81ページまで続きました。

どれも、良い青春の思い出です。

大学生時代 1998年〜

ひたすら、ホームページ制作に燃えた大学生時代。メールマガジンの執筆や、パソコン講師経験も。

大学に入ると、私はシステム研究部に所属しました。パソコンのサークルです。インターネットという世界規模のメディアが、自費出版の同人誌よりも、何百万倍も価値があるように感じたからです。

しかし当時はホームページを作るためのソフトは少なく、誰でも気軽に作れるものではありませんでした。HTMLタグという、根本的な部分から覚える必要がありましたが、プロとしてホームページを制作するには当然知っておくべきことであり、この頃に覚えた知識が、今も非常に役に立っています。

また当時は電話線を使ったインターネットは非常に遅く、ホームページを見ている間ずっと通話料金が発生するものでした。幸いなことに私の家では、かなり早い段階から定額制のケーブルテレビのインターネット接続を引き込んでくれたので、私は自宅で存分にホームページ制作に没頭できたのです。父には本当に感謝しています。

ただ、私の持っていたパソコンでは、色が16色しか使えなかったので、最初の頃は相当お粗末なホームページしか作れませんでした。衝撃の浦口のホームページ処女作を特別に大公開!今となっては顔から火が出るほど恥ずかしいですが…誰だって作り始めは、こんなものですよね?(笑)
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しばらくしてから本屋のアルバイトを始め、貯めたお金でWindows98の入った、SONYのVAIO PCG-C1Rという小型ノートパソコンを購入し、16色の壁から開放されます(笑)。今でこそネットブックという安くて軽いノートパソコンはたくさん売られていますが、当時は小型のノートパソコンは非常に珍しく、価格も20万円以上と、学生にとっては高価なものだったのです。

当時はインターネットはおろか、パソコンを持っている人自体が少なかったので、毎日小型のノートパソコンを大学に持ってくる私の姿は、周りからはパソコンおたくに見えたようです。通学途中の電車内でも見せびらかしてましたので…。「パソコンおたく」と呼ばれないために、「初級システムアドミニストレーター」の資格を取得しましたが、やはり一度ついた「パソコンおたく」のレッテルは、消えることはありませんでした。今でもたまにお得意先に言われますが、褒め言葉と受け取ってます(笑)。
大学内には端末室といって、休み時間に学生が自由にパソコンを使って良い部屋がありましたが、置いてあるパソコンはすべてマッキントッシュ(昔のiMac)でした。大学4年間、私はその端末室で、パソコンの操作が分からない学生を指導するアルバイトをしていました。なので、パソコンの使い方の説明には自信を持っています。

その合間に、趣味で大学の非公式ページを作っていたのですが、実力が広報部に認められ、大学の公式ページの制作依頼が来るようになります。1ページ作っただけで何と3万円!ホームページがバブルな商売だった頃のおいしい話です(笑)。
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また、当時は森内閣のIT戦略で、全国各地で「IT講習会」が開かれていましたが、私は大学3年生にして講師として、倉敷市内の学校や公民館を十何箇所か、20人ほどを前に講習して回りました。21歳の頃の私は、変に落ち着いていたせいか、受講生の人からは33歳ぐらいだと思われていました…。
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※公開当時のサイト
Windows98のパソコンを買ってからようやく、カラフルなホームページを作れるようになったわけですが、パソコンの勉強がてら、無料で使えるパソコンソフト、「フリーソフト」についての解説ページを作ろうと思い立ちました。

しかし当時は、ネットに繋げている間、ずっと費用が発生する環境の人が多かったため、いったん受信した後は、ネットに接続してなくてもゆっくり読める、電子メールを使った情報発信をすることにしました。いわゆる、メールマガジンです。

当時はすごく需要があったようで、創刊号の段階で登録者が2900人もいました。それから毎週欠かさず、一年半で76回配信したのですが(今思うとすごい)、メールマガジンはつまらないと思ったら、すぐに解除されてしまうものであるにも関わらず、最終号を出した時点で、3037人と、逆に読者は増えていました。これは今でも、私のちょっとした自慢になっています。
また、当時はキーボードでの文字入力に慣れるための、タイピングゲームソフトがすごく流行っていました。そこで私もブームにあやかって、自分で作ってみようと思い、「HotSoup Processor」というスクリプト言語を覚え、「KeyBeeT!」というタイピングゲームを作成しました。vectorに登録したところ、最初の一ヶ月で5,000件のダウンロードがあるほど人気が出ました。(※WindowsXP以降には対応していないので、現在は公開していません。)

気を良くして、「KeyBeeT! STEP2」というソフトを制作したら、「ジャンル別タイピングゲーム2」のパッケージに収録され、MSD-JAPAN社から全国販売されました。
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今でも、簡単なパソコンソフトであれば、「HotSoupProcessor」を使って作ることがあります。
就職活動の時期になって、岡山県内でホームページ制作会社を探しましたが、当時はほとんどが東京・大阪で、岡山県内には数えるほどしかなく、即戦力の経験者優遇で、新卒は門前払いで話も聞いてもらえない時代でした。

サラリーマン時代 2002年〜

仕方なくホームページ制作は趣味で続け、接客業など、県内の他業種を転々としましたが、やはり本心とは違う仕事なので、どれも長くは続きませんでした。

そんな中、お金をもらいながらデザインが学べる、夢のような学校を見つけました。それは、職業訓練校のITデザインコースです。失業保険をもらいながら、さらに通うごとに手当てが支給されるというものです。お勧め…したらダメですね(笑)。講師の先生は3人いたのですが、何とそのうちの一人は、私の高校時代の美術の先生でした。何たる巡り合わせ!母校の高校の美術コースは全国的に有名なので、先生の腕も確かでした。さらに受講生の中にも、高校時代の同級生が一人いました。偶然は重なるものです…。

そこでフォトショップイラストレーターという、プロが使うパソコンソフトを3ヶ月間かけて本格的に学び、資格も取得しました。講習だけでは飽き足らず、家でもみっちり練習し、使いこなせるようになりました。

また、今まではFlashアニメーション作成動画撮影・編集は、別々の趣味として行っていましたが、技術の進歩によって、動画中にFlashを重ねられるようになったのです。

その結果、テレビ番組で見るような動画制作が個人でも可能になり、当時はDVDを配った人からその出来栄えに、驚かれていました。ちなみにこの頃の私は、ちょっとポッチャリしてました(笑)。花粉症で、いつも以上に目が開いていません…。(右のムービー参照)

09072001.jpg車のオフ会のDVDを作って、参加者に配ったら、お礼にパンダのステッカーを頂きました。それから私は、オフ会の公式記録係に任命されました(笑)。

ただ、技術は身についても、実際にどのように起業して良いのかノウハウがまったくなかったので、デザイン関係の会社に入社してみようと探しました。ただその頃になっても岡山県内では、ホームページの制作会社は少しは増えていたものの、やはり経験者でないと採用してもらえない厳しい状況は変わっておらず…。不本意ではあったものの、せめて得意のパソコンの知識が生かせる仕事を…と思い、システムエンジニアの職で入社しました。

すると、その会社内に、後日ホームページ制作の部門ができ、私はその仕事を担当することになります。念願のホームページ制作が、仕事でできるようになったのです。覚えることも多く、苦労もたくさんありましたが、しばらくは充実した毎日を送ります。しかしその日々も長くは続きません。ホームページ部門以外の他部門での売り上げが伸びず、その会社は倒産してしまうことになります。

ただ、その会社では私は営業マンに同行して、営業の様子をすぐ間近で見る機会に恵まれ、デザインだけでなく、ホームページ制作に関わる全ての工程を経験することができたのです。

そこで私は初めて、真剣に独立を考えるようになったのでした。

個人事業者として開業 2008年〜

2008年1月、私は個人事業者として開業しました。大学時代に経済学マーケティング論の講義を受けてはいたものの、もっと具体的な情報を仕入れるべく、起業塾などに積極的に参加し、事業について基礎から勉強し直しました。すると、社員の時には分からなかった、経営者の視点で物事が見えるようになりました。

ホームページ制作業者は、
デザインを数種類用意したり、何度か作り変えるための予算を、あらかじめ上乗せして見積るのが普通です。凝ったデザインのホームページにこそ価値があると思っているからです。しかし経営者からしてみれば、見た目のキレイさよりも、ホームページを公開することによって得られる効果を期待しているわけで、このあたりにズレがあったことに、社員として働いていた時には、恥ずかしながら気づいていませんでした。

そこで私は、時間をかけてデザインするよりも、スピード優先で効果のあるホームページ作りをしようと決めました。


ありがたい事に、前職でお付き合いのあった会社の方々の協力も得られて、お客様を紹介して頂ける事もしばしば。順調な滑り出しで開業できたことを、本当に感謝しております。

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具体的にホームページを早く作成するためには、どうすれば良いかを考えたところ、デザインの作成時間を削ることはしたくなかったので、人間が毎回手作業で行う工程を自動化させることで、制作時間の短縮化を図ることにしました。その時に、今まで学んできたプログラムの知識が役に立ちました。

そして私自身が使うだけでなく、お客様にもこのソフトを提供することにより、お客様が自分でがホームページを更新できる仕組みも提供しようと考えるようになります。そして私のメイン商材は「ホームページ更新ソフト」となりました。主に各種セミナーで、ブースを借りて展示するなどして宣伝していました。当時、会場で流していのが右のムービー。

当時の私は、とにかく簡単にホームページが更新できるように…ということを追及するべく、ひたすらソフトに改良を加える作業を行っていましたが、あれもこれもと機能をつけ加えていくうちに、逆にどんどん複雑になっていってしまい、よほどパソコンに詳しい人でしか使いこなせないものとなってしまったのです。
そんな私に、転機が訪れます。それは、「無料ブログSEOバイブル」という本を出版されている中嶋茂夫氏のセミナーに参加したことでした。

ブログは通常はYahoo!やGoogleで検索しても、あまり出てこない仕組みになっていますが、中嶋氏は無料ブログでもカスタマイズすれば、検索結果に出てきやすいようにできると述べておられます。そして無料ブログをたくさん開設してメインサイトへリンクすることで入口を増やし、集客力を上げようという提案をされています。

そうです、ホームページは見てもらえないと意味がないのです。30〜40万円かけて作ったホームページでも、2年間で実質1,000人に見られていないホームページが、数多くあるのです。アクセス解析上では数が多くても、それはホームページ制作会社の制作実績のページから辿ってきた人や、検索した時にたまたま単語がひっかかって間違えて入ってきた人の数も含んでいるのです。半分以上が本人のアクセスなんていう、冗談のような話もあります。ページの見た目にこだわる前に、まずはアクセスされることが最優先だと思いました。お金をかけて見た目をキレイにするのは、後からでもできることなのですから。

ただ、「無料ブログをたくさん作ってメインサイトへ誘導」する方法には、2つの問題があるように感じられました。1つは、無料ブログをたくさん開設・管理することは、思いのほか大変であるということ。よほど文才のある人でないと、大量のブログを継続して更新していくのは無理だと思います。そしてもう1つは、ブログを見てくれた人すべてが、メインサイトへのリンクを辿ってくれるわけではないということ。おそらく、相当のロスが生じていると予想できます。つまり、効率が悪いのです。

これらの問題点を解決するにはどうすれば良いかを考えたところ、誘導用に作ったブログ自体を、メインサイトにできたらいいのではないか?というところに辿りつきました。ブログ自体がメインサイトなら、他サイトへ誘導しなくていいので、ロスがありませんし、更新するのもブログ1つだけでいいのです。

思いついたら即実行。使い勝手やデザインのカスタマイズ性など、あらゆる無料・有料ブログを試し、独自のテクニックも盛り込み、自分の中で現時点で最高と思えるものを作り上げました。

このサービスを、ブログ(Blog)をホームページ(HomePage)として利用するという意味から、2つの言葉を合わせて「Blohp!」(ブロップ)と名づけました。

それから私は「Blohp!」の効果を検証すべく、これまでに私が趣味で作ってきた膨大な量のサイトを、すべて「Blohp!」に移植して作り直しました。
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すると、Yahoo!やGoogleでの検索結果に、確かな成果が表れたのです。(すべてのサイトにバナー広告を掲載することで、ちょっとした収入源にもなっています。)

しかもブログは、メールを送るだけで更新できるなど、パソコン初心者にも非常に易しいシステムです。携帯電話からだって更新できるのです。高度なデザインを求めないなら、私が以前開発に夢中になっていた「ホームページ更新ソフト」も、すべての人には必要ではないのでは、と思い始めました。

こうして私のメイン商材は、ログをメインサイトに変えるサービスに変わったのです。

そして「ホームページ更新ソフト」は私専用に特化し、訪問したその場で私がホームページの初期制作を行うという制作手法に切り替えることにしました。
しかしそんな私に、また転機が訪れます。それは松本賢一氏の「ネットショップ養成塾」に参加したことです。

そこで学んだことは、いくらアクセス数を集めても、そこに心を打つメッセージがなければ、見てくれた人には届かないということ。そして心を打つメッセージは、本人が心の底から絞り出さないと作れないということ。

つまり、私がいくらお客様の心境になってメッセージを考えたところで、本人から出た言葉を越えるものは作れないということです。私にできることは、本人の生み出したメッセージを、ホームページを通して、より多くの人に伝えるためのお手伝いをすることだけだということに、気づいたのです。


そして私のメイン商材は、あなたのメッセージを、より多くの人に届ける情報配達業に変わりつつあります。